抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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青森県津軽地方の産業は,明治初年以降に士族層を中心とした開発の中で発展してきたもので,藍の製造法改良もその一つだった。本稿では,その改良・開発をめぐる諸相を明らかにする。これまで,津軽の藍については産業史の中でもほとんど顧みられることがなかったが,弘前大学で結成された津軽藍研究会の活動の成果に加え,勧業関係報告書や津軽に影響を持った阿波藍関連資料など,新しく掘り起こした諸資料をもとにして,明治10年代前半の弘前藩士族による藍の生産および改良の話相について明らかにすることができた。そからわかることは次の2点である。第一に,弘前藩士族たちによる明治10年の藍への取り組みは,藍染というより「青黛」製造が中心であり,従前の弘前藩における藍染業とは異なった新規性があった。第二に,明治10年に「青黛」に取り組み,純益金をだすレベルまでの生産にこぎつけたのは,「府県勧業着手概況書」を見る限り全国に先駆けており,きわめて先進的であったということである。しかし,この藍への取り組みは,天候条件などによる栽培の不安定などの限界ゆえに衰退し,津軽地方はリンゴを中心とした果樹栽培が主流になって行った。