抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本論文は,東京大学の本郷キャンパスの折衷表現設計が,内田祥三と岸田日出刀の間の協力を通してどのように展開されたかを調べるものである。内田は1919年に本郷キャンパスの建物設計を開始した。1923年の関東大震災の後,彼は1938年まで新しいキャンパスを計画する際に主導権を取り続けた。岸田は,1922年~1930年の間,補助建築家としてキャンパスの建築の設計を助けた。これまでの研究は,主に本郷キャンパスにおけるゴシック風大学建築の均一性に焦点を当ててきたが,内田と岸田の共同作業から生じる多様な表現を見落としている。本論文は,1920-30年代の間のキャンパスに関する設計の多様性と展開を分析して,それを内田と岸田の間の関係に接続した。1920年代初期に,内田は,キャンパスの古い建物の設計に従って,標準設計として,ゴシック風スタイルを適用した。彼は,中央に玄関があり,均等に並んだ柱によって特徴付けられた,立面の基本パターンを一貫して採用した。彼は,5つの建物の一連の設計を通して,玄関と柱列による典型的ゴシックスタイルを確立した。この期間に,内田は7つの建物の立面を,岸田に設計させた。ドイツの表現主義の影響下で,岸田はその時代の歴史的スタイルを克服することを試みた。その結果,岸田は現代風設計を,ゴシック型キャンパスに導入した。この期間の岸田の立面設計は2つのタイプに分類できる:1)平壁による立面,それは「耳鼻咽喉科学科棟」に見られ,そして,2)玄関と柱列による立面,それは「工学部4号館」で見つけることができる。第1の型は柱列が無く,内田の立面の基本パターンとは完全に異なる。第2の型は,表現主義の特徴である現代風玄関と柱列を持っていたが,内田のデザインと同じ基本パターンを有した。1920年代後期以降,キャンパスの建物は主に内田によって設計され,それは内田と岸田の間の協力が計画されていなかったからである。内田が1925年に「図書館」を設計後,キャンパス中で,そのゴシック風玄関と柱列を繰り返し適用した。一方,内田は,また,岸田が「工学部4号館」の設計に採用した,表現主義スタイルの玄関と柱列も繰り返し採用した。内田は,特に前述の建物と「大学病院」の近隣においてこのスタイルを採用し,隣接する建物の美的調和に置かれる重要性を示した。さらに,「医学部1号館」において,ゴシック風柱列と表現主義スタイル玄関が,1つの立面で組合せて利用され,それは,本郷キャンパスにおける歴史主義と現代スタイルの混合を示した。これらの設計の解析を通して,本論文は,内田が一人,ゴシック風スタイルに従うが,実物としては,折衷表現設計スタイルを持つものになったと結論を下した。建物を設計するとき,彼は,周辺建物の設計に基づいて,ゴシック風スタイルまたは表現主義スタイルのいずれかを採用した。一方,岸田は歴史主義スタイルを批判し,表現主義型設計を導入した。これら2人の建築家の間の協調は,本郷キャンパスのユニークな設計に著しく寄与し,それは2つの異なるスタイルの調和した合併によって特徴付けられる。(翻訳著者抄録)