抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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「黙而雄」と大書された石碑は,初期の立谷沢砂防にかかわった倉上靖氏が昭和27年11月に転勤で現地を去るにあたり残した言葉を刻んだものである。立谷沢砂防は昭和3,4年頃から国有林野保全のため治山ダムや床固堰堤を施工したのがはじまりである。その後,立谷沢川の流出土砂防止の重要性が認識され,昭和12年から直轄施行が始まった。昭和24年には本川ダムである六淵堰堤に着手,昭和26年に瀬場堰堤に着手するなど営々と砂防事業が続けられてきた。平成19年の最上川水系砂防事業着手70周年記念事業において砂防の碑「黙而雄」のリニューアル建立が行われた。