抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本研究は,現在のベトナム・フエ市とその周辺に置かれた院朝の建造物群の保全の一貫として,1947年に焼失した標記の勤政殿の基壇の状況を把握し,代表的な宮殿建築の設計方法や構造形式などを明らかにした。基壇は創建時から材料も含め原位置と大半は変わらず,啓定期から焼失まで基壇の大半は改変されなかったが,それ以後は戦争や気候により部分的に損壊された。基壇の真正性が損なわれたとも言われるが,礎石位置や外装材の構成とその設計法,そして勤政殿の規模と構造形式を解明する上では充分な状態を保っている。嘉隆期には,基壇床面の側廻りの高さを上げる手法を採った。成泰11年以後,基壇床面を均し,床仕上げはガックホア敷きとした。啓定8年には新たに礎盤を柱元に据え付け,床のガックホアを再度敷き替えた。その際に柱元の寸法にずれが生じたことが,基壇東面の礎石の欠込型の状況に表れたと結論づけられる。