抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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明治2年(1869年)明治新政府の殖産富民政策に伴い,北海道の開拓事業が始まった。当時の札幌は鬱蒼とした原野で,豊平川の清流を構える広大な広がりの中に北海道開拓の拠点都市札幌が誕生した。原野の地勢は樹林地と泥炭湿地が主体を占め,開拓にあたり雨水に対する改良を要する低平地が全体の4割を占めていた。一般に治水事業は洪水氾濫を防ぎ,水害を軽減することを目的とするが,石狩川では氾濫防止に加えて未利用地を利用可能地にするという二つの目的をもって始まった。劣悪な地形条件と泥炭層が分布する土地を農業適地とするために捷水路工事を中心に展開し,河川の水位低下を図った。捷水路の開削位置は石狩川本川で29箇所,支川においても数多くの捷水路が完成した。治水事業開始から100年を経た現在,原野は沃野に変貌し,北海道の社会経済の中心をなす北海道央圏として確固たる地域を形成している。