抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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著者は,第26~28回土木史研究発表等を通じ,明治16年に始まった長野県の七道開鑿事業,続いて開始された三州街道等の改修事業を取り上げ,勾配・路面排水・切,盛土勾配などの道路技術を含む設計図や仕様書が作成され,道路改修が行われていく過程を整理し,道路技術の成り立ちについて考察した。また当時長野県を訪れたデ・レイケがまとめた調査報告書との関連や日本人技術者の関わりなどを明らかとしてきた。明治時代の道路構造基準は馬車交通を対象とし,明治19年8月の内務省訓令第13号として成立しているが,明治16年から始まった長野県の七道開鑿事業をはじめ,他県でも明治19年以前から多くの道路改修事業が実施されている。道路改修を実施していたのは府県であったため,道路基準や実施のための規則なども試行錯誤されながら成立していったと考えられる。そこで,本研究ではオランダ人工師エッセルが明治10年に提出した「道路ノ建議」など明治前半期の道路技術文献,長野県に残る資料等から道路技術の成り立ちや道路技術に関係した技術者を考察する。(著者抄録)