抄録/ポイント:
抄録/ポイント
文献の概要を数百字程度の日本語でまとめたものです。
部分表示の続きは、JDreamⅢ(有料)でご覧頂けます。
J-GLOBALでは書誌(タイトル、著者名等)登載から半年以上経過後に表示されますが、医療系文献の場合はMyJ-GLOBALでのログインが必要です。
明治32年の「図書館令」以後,全国の市町村において図書館の設置が急増し,日露戦争を契機として,さらなる増加をみることになる。すなわち,図書館の全国的推移をみると,明治32年に38館であったものが,日露戦争中の明治37(1904)年には100館と二桁を数え,大正5(1916)年には1,092館を数えるまでになる。この傾向はその後も続き,昭和5~15年間のピーク時には,ほぼ4,600~4,700館を推移していた。これは,1994年度における2,180館と比べても,その約1.5倍で数だけは多かったが,蔵書数が千冊にも足りない図書館が大半であった。十万冊を超える図書館は6館しかなく,公立図書館の94%が五千冊にも足りない,小さな図書館であり,図書館とは名ばかりの簡易な通俗図書館=零細図書館というのが内実であった。本稿は,この時代の北海道における通俗図書館の事例を,明治40(1907)年開設の札幌市立北九条小学校に付設された通俗図書館設立の経緯と,その活動の実際を中心に検証したものである。北九条小学校附属通俗図書館は,明治40年に開館された。それまでの札幌区には北海道教育会の経営になる附属図書館があったが,その活動も明治35,6年頃がピークであり,このことも北九条小学校附属通俗図書館存在の意味があつたといえる。しかし,大正9(1920)年ころから衰退の一途をたどり,ついに大正14年からは休館となった。一般人の利用が,衣替えした札幌図書館へと移行したことが一因として考えられる。北九条小学校では,昭和9年頃から,児童文庫として再出発を図ったが,戦争を迎えて倉庫として転用され,戦後も再開されないうちに,昭和31年の火災で校舎の大半を焼失し,通俗図書館としての歴史を閉じることとなった。