抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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「丘のまち」として知られる美瑛町は,農業と観光を両立させ,農村景観からの地域ブランディングに成功した先進事例のひとつである。そこには,観光資源としての景観を保護するのではなく,地域の一次産業の営みを積極的に発信しながら,地域づくりを進める積極的な姿勢を見ることができる。まず,農村景観を活かしたまちづくりについて述べている。美瑛町の農村景観を活かしたまちづくりには,2つの大きな契機が重なった。自然環境保全条例と景観条例の1989年(昭和元年)の制定と,1987年(昭和62年),風景写真家「故前田真三氏」のギャラリー「拓真館」の開設である。観光客の視線が,山岳の自然景観から,農地の文化的景観へとむけられたことで,農業と観光の両立という美瑛町の新たな取り組みが始まったのである。次に観光発展に伴う弊害ついて述べている。それまで40万人程度で推移していた年間人数は,ピーク時には140万人を数える状態となり対応する社会資本整備が追いつかなくなった。観光客に次いで現れた問題が,移住者による景観の変化であった。こうした移住者による民有地の景観変化には対応できなかった。そのため,2003年(平成15年)に「美瑛の美しい景観を守り育てる条例」が制定された。当時の評価は,地域の特徴的な農村景観を保全し,観光資源として活かすことで地域振興に成功した点である。現時点における評価として,美瑛町の成功要因にはむしろ,地域の価値を明確にし,それを軸にした計画の着実な発展性と一貫性,そして町の経営戦略としての地域ブランディングが挙げられるのではないだろうかしている。