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J-GLOBAL ID:201202283059370757   整理番号:12A0574262

聞き書き資料:能登半島熊木川最上流に位置する須久保の1960年代以前の里山利用

Notes on an Interview on Satoyama Life before the 1960s in Sukubo Area Upstream of the Kumaki River, Noto Peninsula
著者 (3件):
資料名:
号: 43  ページ: 123-132  発行年: 2012年03月19日 
JST資料番号: S0712A  ISSN: 1347-7889  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 原著論文  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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能登半島熊木川最上流の須久保で1926年生まれの古老から,1960年代以前の里山諸活動,特に動植物の利用について聞き取り調査を行なった。里山での主な仕事は炭焼き,林業,稲作,焼き畑式農業であった。明治前半まで里山の行事としてオオカミの隠れるところをなくすため春の山焼きなども行われた。明治末頃まで焼畑でのシカの害を防ぐため夜の番をした。戦前まで屋根に葺くためススキを刈っていた。焼畑は終戦頃までおこない,アズキ,ソバ,アワを作った。炭焼きをしていた頃の里山は雑木林だったが,戦後に植林が盛んになり,植えたスギが育つと雑木林を構成していたコナラは育たなくなり,耕作地がなくなり焼畑をやめた。昭和になっても冬には雪上でキジとウサギを狩り,食した。1960年代に始まった日本全体の生活スタイルと社会構造の変化に伴い,須久保の人々も下流の村や都市部へ移住し始め,里山文化が徐々に失われていった。本論文は1960年代以前の伝統的な里山文化の貴重な記録である。
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分類 (3件):
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生態系  ,  人類学  ,  農林水産一般 
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