抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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ねじは最も重要な機械要素の1つで,ねじの量産は戦後の高度成長期に,家電やオートバイ自動車生産の上昇に伴い急速に拡大し,ねじの頭もマイナスからプラスが主流になった。本稿では,オートバイ自動車業界でプラス(クロス)ねじの導入の先頭を切った本田宗一郎を取り上げ,彼の果たした役割と,ホンダの現場へのプラスねじの導入時期を巡る論争について論じた。具体的には,まず,日本のプラスねじの起源と生産について述べ,ホンダの現場へのプラスねじの導入時期に関して,1952年~3年頃の製品の現物のねじのプラス,マイナスについての調査結果で1953年という結論を得たことを報告した。さらに,ホンダの経営を実質的に行なっていた副社長の藤沢武夫の著作「本田宗一郎とプラスねじ」が誤謬を招いた一因であることに言及した。