抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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山村問題のうち自給的農業の状況を把握するために,山梨県北都留郡小菅村(以後:本村と呼ぶ)を対象にアンケート調査・ヒアリング調査を実施し,その結果として,本村の「自給的農業」のあらましについて論じるとともに,そこから見いだせる農法や生活過程を観察し,今まで認識されてこなかった現代山村の盲点について指摘する。本村は,本畑,切替え畑(焼畑用地),山林,採草地の4種類を活用してきた。本村では古くから主食はサトイモであり,他に雑穀類を焼畑によって補ってきた。1782年から1788年にかけて発生した飢饉を受け,代官中井清太夫(1784~1794年)が,長崎より耐寒品種であるバレイショを導入し,凶作年に備えた。そのため,本来主食であったサトイモよりバレイショのほうが作付量・収穫量ともに多くなった。地租改正を経て,H集落では1933年以後コンニャクを栽培し販売することで白米食を実現するなど,焼畑や麦作をやめる地域もでてきた。さらに養蚕も換金性があることから,焼畑から桑畑に転換する場合が多くなった。ところが,戦時および終戦期の食料難を迎えると焼畑が盛んに行われるようになった。しかし,1970年代を境に焼畑はおこなわれなくなり,その場所にスギ・ヒノキが植栽された。元々は,森林を伐採し木炭を製造し販売し,森林伐採跡地に焼畑を行う方法をとっていた。そこで,今日,自給的農業が成立しているのに焼畑が成立せず,「切替え畑」ではなく本畑を使用するのみなのか,農家への調査により歴史的意味合いにおいて検証した。また,自給的農家があるということが,耕作地保全に役立つ根拠を耕作活動から見いだした。(著者抄録)