抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本論文は,工部省創設再考に関し,公共事業の理念の視点から報告した。先ず,明治3年10月,明治政府は迅速に殖産事業を推進するため工部省を発足させ,大勢の外国人技術者を雇い社会基盤の整備と産業の育成を図り,今日の技術立国日本の基礎を築いたこと等を報告した。次に,鉄道建設技師長エドモンド・モレル提案の「建築局」,その略組織図について報告した。更に,「工部院」に関し,伊藤博文が『工部院建置之議』を認め,明治3年5月18日(1870年6月16日),民部大蔵省大輔大隈重信を経て太政官に提出したこと等を報告した。加えて,「建築局」のモデル,イギリス領インドの公共事業局とモレルの経歴について報告した。それから,「工部院」から「工部省」へ,「工部省」下の公共事業Public Worksについて報告した。最後に,明治4年8月14日(1871年9月28日)山尾庸三を工部大丞としたこと,明治4年10月8日には土木寮を大蔵省に手放してしまい,公共事業省の理念が薄れてしまったこと,実際に創設され,動き出した「工部省」は近代技術の導入によって殖産興業を推進し,また社会基盤を整備することの二つを目的にしたこと等を報告した。