抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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オハイオ,マウンド研究所の
238Puグロープボックスが,1968年4月3日に爆発し,3人が吸入によりかなりの被ばくをこうむった。うち1入は顔に第一度の火傷を受けた。事故後3週間目に全身計測のために,ドウ・ケミカルカンパニイのロッキィフラットにこの3人は送られた。測定は,
238Puの崩壊に伴なって出る平均17keVのX線を検出するため,2個の4
〓φ×4mm厚のNaIシンチレータとマルチ波高分析器をもつ全身カウンターを,9~24keVのエネルギー範囲にセットして行なった。計数値は,17keVX線の組織の半価層を0.6cmとして胸厚に対する補正をした。胸厚は超音波装置を馬いて測定した。その結果,従業員の肺負荷量は,それぞれ,0.134μCi,0.141μCiと0.091μCiであった。ところで,体内のプルトニウムの摂取量を下げるために,重金属キレート・ジエチレントリアミン・ペンタ酢酸(DTPA)の静注による治療も事故後5時間目から始めた。それと併行してふん中のプルトニウム量も測定したが,最初の10日間での排出は,3.65μCi,144μCi,と7.59μCiであり,どの例でも,放射能の99%以上がはじめの4回の排出により排出されている。被ばく後180日間の3人の尿のデータも集めたが,マウンド研究所で,かつて
238Puの被ばく時にみられたパターンとはちがった排出パターンを示している。約200日間後
238Puの全身負荷量は,0.03Ci,0.29μCiそして0.21μCiと推定された(川島勝弘)