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J-GLOBAL ID:201702247294775587   整理番号:17A0904388

日本化学工業小史(10)クプラ人絹工業事始め

資料名:
巻: 68  号:ページ: 620-624  発行年: 2017年08月01日 
JST資料番号: F0101A  ISSN: 0451-2014  CODEN: KAKOA  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 解説  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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アンモニアの製法の変遷を受けて,それを利用する銅アンモニア法(クプラ法)の昭和初期における日本でのクプラ人絹工業の始まりから戦後の復興期における隆盛に至る旭化成におけるクプラ人絹事業の変遷を述べた。クプラ法は,1857年のドイツのシュワイツエルが繊維素が銅アンモニア水溶液に溶解する現象を発見したことに始まり,1898年グランツストフ社によって工業生産が開始されている。当時,アンモニアは石炭乾留ガスの精製工程の副産物として得られており,生産に限りがあり,高価で問題を抱えていた。日本では,1923年(大正2年)日本窒素肥料(株)が初めて合成アンモニアの工業的生産に成功し,その用途として硫安肥料以外にも関心が向けられ,銅アンモニア法(クプラ法)が注目された。1929年(昭和4年)ベンベルグ社の技術を導入して日独合弁の日本ベンベルグ絹糸会社が設立され,高級人絹糸の製造を開始,その後コスト改善の努力がなされるも,戦時中は生産の縮小を余儀なくされた。戦後は昭和22年に旭化成がクプラ人絹の製造を再開,細番手のクプラ人絹の生産に注力し,細番手の需要を大きく伸ばし,その生産に適した独自の紡糸機を開発し,昭和24年後半から日本式による紡糸機によるクプラ人絹の生産が本格的に始まった。そしてクプラ人絹は繊維業界の寵児となり,競合する同業者もなく,「ベンベルグ」の商標の下高級人絹として認められ,昭和30年代を中心に約30年間,旭化成の大きな収益源となった。その後今日にいたるまで採算の良い事業として引きつがれている。
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分類 (1件):
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再生繊維 
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