抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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JR西日本が運行する三江線中国地方随一の河川である江の川沿いに,島根県江津市と広島県三次市を結ぶ営業距離108.1kmの路線である。三江線の路線建設は1992年に決定し,1926年に江津側から工事が開始された。三次側からの工事は1936年に始まったが,日中戦争の影響が拡大し,900tのレールが砲弾用の鉄材として供出され,1939年に工事が中止された。その後,第2次世界大戦を経て,1959年に三江線を全通させることが決定された。三江線は山と川の隙間を縫うような工事であったため,集中豪雨による水没による工事中断に苦しめられながらも,1975年にようやく全線が開通した。しかし,1980年に国鉄再建法が成立し,三江線が廃止対象となる基準内に入ったため,沿線では廃止反対運動と政府への路線維持に向けた陳情が展開された。全線開通した早々,廃止が議論される状況となった背景には,沿線地域の急激な人口減少がある。江津市と三次市を含めた沿線人口は,ピーク時(昭和22年)に145,000人だったものが,2015年は76,000人に減少している。一方1960年代半ばからモータリゼーションが始まった影響で,三江線が全線開通するころには地域間輸送の主役は自動車に移行していったため,バスとの競合の他自家用車との競合にもさらされることとなった。三江線の利用者数は減少の一途を辿る一方で,利用者数を増やそうとする試みは沿線地域で展開され,イベント列車企画,沿線の観光振興,情報発信などが取り組まれた。しかし,JRは鉄道の廃止とバス路線の開設をセットとして地域交通を確保する方向に舵を切り,2018年全線廃止が決定された。廃止決定後の三江線の残された課題は,地域の代替交通機関をどのように確保するのかの1点に関心が集まっていることのように見える。ただ,鉄道を失うまでに衰退してしまった地域の再起を今後どのように図るかという問題は,より長期的な視点で検討すべきもう1つの重要課題である。