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J-GLOBAL ID:201702254225646329   整理番号:17A0569252

日本科学映画の生みの親太田仁吉の思索と実践-教育における科学映像メディアの研究-

著者 (1件):
資料名:
号: 31  ページ: 91-125  発行年: 2017年02月28日 
JST資料番号: L5830A  ISSN: 1342-9191  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 原著論文  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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太田仁吉は,1934年,小学校教師から科学教育映画の製作者となって多くの珠玉の製品を残し,1954年に亡くなった。太田仁吉の死後,科学教育映画は,スクリーンからTVの学校放送番組へ,VTR,CD・DVD,パソコン上の映像ファイル,学校放送番組の全体あるいは一部を抜き出したWeb上のコンテンツ集,そして今後本格的に導入されるであろう「デジタル教科書」の動画へと移りつつある。科学映像メディアの先駆者である太田仁吉の思索と実践を明らかにすることは,未来の科学映像メディアの在り方を研究する上で役立つと考え,本論文は太田仁吉についての思索と実践を明らかにすることを,目的とし,検討の結果,次のことが明らかになった;理科が好きで,映画を教材に利用することが得意な小学校教師であった太田仁吉は,実物を見せるということが実は単純に事実を見るということ以上に意味があり,特に理科教材映画については,その自然界の映像は,実物の観察・実験以上の可能性があることを感じていた。映画製作者の道に進んだ時期から,映画には自然界の根源的な現象を様々な視点から見て,それを再構成することにより深い理解に至るという考えを持つに至った。さらに文化映画と教材映画,すなわち「映画学習」あるいは「映画そのものの学習」と,「映画利用学習」・「教材映画」の二元論を解消する考えをもつようになった。そして,映画製作者と教師の交流の必要性を重んじ,そこにテキストと解説書という共有的メディアを導入し,自らの教材映画観を補完した。その後,大田は戦争の時代を間に挟み,学校から広い社会での教材映画の製作と普及を目指した。
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分類 (2件):
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科学技術教育  ,  映画 

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