抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本稿は,『神戸洋家具産業の成長期から変革期までの特徴~明治中期から大正期まで~』の続編であり,第二次世界大戦までの昭和期を「成熟期」として仮説区分し,神戸洋家具産業の状況について考察する。神戸洋家具産業は,慶応3(1868)年の兵庫(神戸)開港にはじまる実用的需要を契機として発祥し,現代に至るまで継続している。明治初期に製作所を設け船大工から転業した「眞木製作所」(明治8年に創業)と明治5年創業の道具商「永田良介商店」が代表的な先駆者二系統であり,各時代を通じて業界を牽引する事業者である。眞木製作所は大正期から昭和初期にかけて,代表者眞木新造の娘婿である山本久雄によって北野町の外国人や新しい富裕層から家具や室内装飾を幅広く受注するとともに,ヴォーリズ建築事務所の請負いを通じて造形技術や専門知識を学び,昭和初期には確固たる地位を築いていた。しかし,大正末期の新造に続き山本久雄も昭和10年頃他界し,眞木製作所は直系の後継者が途絶え,眞木の製作技術は独立した職人たちに引き継がれることになる。永田良介商店は,京都高等工芸学校図案科を大正11年に卒業した中野善従が翌年に縁組みで三代目店主の永田善従となり,昭和5(1930)年,私費でドイツのバウハウスを中心に欧州の家具事情,歴史文化を半年をかけ視察した。帰国後に善従が考案した日本の生活環境を考慮して歴史様式を簡素化した洋家具・室内意匠や永田独自の塗装法は,資産家や実業家,文化人の間で人気を博した。竹中工務店との協働では昭和9年の「ジェームス邸」,昭和10年の「雲仙観光ホテル」,昭和11年の「乾邸」等,今日の文化財指定事例があり神戸圏の地域文化の形成において一端を担っていた。第二次世界大戦以前の神戸洋家具産業は,阪神間で昭和13年に発生した大水害や昭和12年の日中戦争を契機とする軍国主義の影響が表面化する直前の昭和11(1936)年頃をピークとして「成熟期」を迎えていた。本論ではこれらの事例と社会情勢の分析から,今日「阪神間モダニズム」として認識されている地域文化や生活意識の形成を背景にした神戸洋家具産業の事業実態と展開について考察し,先駆者の事業化経緯を概念図にまとめ提示した。(著者抄録)