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J-GLOBAL ID:201702264977614331   整理番号:17A0962071

九曲渓居をめぐる李栗谷の構想 -「高山九曲歌」の分析をとおして-

YI YULGOK’S CONCEPTION OF HIS DWELLING IN “KOSAN-KUGOK” Based on an Analysis of “The Songs of Kosan-Kugok”
著者 (1件):
資料名:
巻: 82  号: 736  ページ: 1599-1608(J-STAGE)  発行年: 2017年 
JST資料番号: Y0894A  ISSN: 1340-4210  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 原著論文  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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九曲渓居をめぐる李栗谷の構想を「高山九曲歌」の分析をとおして考察した。この九曲歌は,渓流に沿って設定された九つの曲の題詠とその序曲から成り立つ。栗谷は渓居する高山九曲の風景に時の循環と遡行を見ている。九曲渓居のトポグラフィーにおいて,下流側には儒者の関る世上人間が映し出されたように,上流側には源頭(水源)へと接近する儒者の志向が引き寄せる心身の保持のあり方が表し出される。栗谷が構想する九曲渓居のトポグラフィーは,上流と下流に身を向けざるを得ない彼の生き方をよく映し出している。また,栗谷は上流,下流に向けて尋ね求めるだけではなく,その往還の途上において,各曲で時々刻々新たに自然と出会いながら浩然自得し真楽を享受自足している。九曲渓居のトポグラフィーは,「世に出て行く,学を求め進める,道を楽しむ」という3つの行為面=生の営みに相即している。栗谷は,自らの営みと自然の営みが相即応するようなかかわりの場を映し出すように武夷櫂歌の形式を自覚的に斥け,流水の儒者的経験の持つ内実を,もう一度経験の深処から取り上げ直して九曲歌を構想したと考えられる。
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景観 
引用文献 (15件):
  • 1) 李珥:国訳栗谷全書, 韓国学中央研究院, 2007.12
  • 2) 若林実 : 韓国の古時調, 高麗書林, 1979.9
  • 3) 崔岦 : 高山九曲潭記, 韓国古典文学大系 8巻, 明文堂, 1991.8
  • 4) 釜谷武志 : 陶淵明, 岩波書店, 2012.9
  • 5) ノ・ジェヒョン、シン・サンソップ : 国家指定文化財名勝の類型と八景-洞天九曲との関連性, 文化財, 43巻, 文化財研究所, pp. 128~159, 2010.1
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