抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本稿では,第二次世界大戦終戦時から上田保が大分市長に就任するまでの期間(1945年8月15日~1947年4月6日)を対象に,大分合同新聞の報道記事を調査し,大分市の戦災復興計画の策定過程を検証した。その結果,大分市の戦災復興計画策定を市長として主導したのは木下郁であったことが分かった。木下が市長在職中に,長期構想として機能することになる「“大”大分市構想」が策定されていることが確認された。大分市の戦災復興計画策定は,都市計画大分地方委員会が主導しており,その委員会の技師である田村雄次という人物が,技術官僚として計画策定に関与していることが分かった。池邊親男という奉天等で都市計画に携わった人物が,大分市の復興都市計画策定に深く関与していることが明らかになった。