抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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日向湖,久々子湖,菅湖,三方湖において,数m長さのピストンコアを採取し,年縞の有無を観察した。また,久々子湖,水月湖,三方湖において塩分濃度の測定を行い水月湖との関係を探った。その結果,日向湖は過去約3300年間,久々子湖は過去約1800年間,菅湖は過去約7000年間,三方湖は過去約1300年間に関して,水月湖のような長期にわたる連続的に堆積した年縞堆積物は認められなかった。しかし,日向湖と菅湖に関しては,寛文地震以降短期間であるが規則的且つ明瞭な縞模様をもつ層が認められた。これは日向運河の開削,寛文地震に起因する浦見川の開削と嵯峨隧道の開削により,三方五湖に海水が浸入しやすい環境に急変した事によるものと推測できる。現在の水月湖は,若狭湾からの海水の流入と,はす川からの淡水の流入のバランスにより,水月湖内に塩分躍層が形成され,それが一つの要因となって年縞が形成されている。しかし,寛文地震以前の地形変化を起こす前は,水月湖への若狭湾からの海水の浸入を気山川との菅湖(最大水深15m)で制限し,はす川からの淡水の流入は三方湖を経由することで,水深の深い水月湖(最大水深38m)へと静かに流入していたと推測できる。寛文地震以前は,このようなバランスの上に水月湖の年縞が形成されていたと推測できる。(著者抄録)