抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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限界集落における獣害問題は,人と自然のインタラクションのもっとも典型的な「失敗例」の1つにされがちである。人と自然の共存関係を取り戻すためには,限界集落で暮らす人びとだけでなく,都市住民も新たな地域の担い手として加わるような仕かけが必要だといわれている。しかしこのような研究者の判断は,限界集落化している当該地域の人びとの価値観とは必ずしも一致していない。そこで本稿は,獣害の最前線に位置する限界集落で暮らす人びとが,「むらの消滅」が現実化するなか,外部の人を地域に呼び込みつつも,「集落ぐるみの獣害対策」をあえて選択しないことの“合理性”について考察を行った。限界集落化が進行すると,人びとは「むらに将来がない」ことを前提に生活を形づくっていく。すると,むらの人びとは,むらの永続性に縛られずに「むらの現在」をつくり上げる新しい自由を手にすることができるようになる。この新しい自由を活かそうとすれば,むらの永続性を前提とする獣害対策事業は,むらを生きる人びとにとって重荷になってしまいがちになるのである。本稿は,こうした村びとたちがみずから限界集落化にともなう困難な状況を引き受けて生活しているなかに,ある種の“合理性”を見いだすことになった。「人と野生動物とのインタラクションの“ある場所における今”」を分析しようとするならば,この場所で暮らす人びとが直面する現実を最大限尊重する姿勢が研究者にも求められるのではないだろうか。(著者抄録)