抄録/ポイント:
抄録/ポイント
文献の概要を数百字程度の日本語でまとめたものです。
部分表示の続きは、JDreamⅢ(有料)でご覧頂けます。
J-GLOBALでは書誌(タイトル、著者名等)登載から半年以上経過後に表示されますが、医療系文献の場合はMyJ-GLOBALでのログインが必要です。
日本では,蝦夷錦と呼ばれる絹織物が北海道と東北地方に分布している。これらの布は,竜,大蛇,シャクヤク,および他の動物または植物のエレガントなモチーフを特徴とし,金,銀,および着色糸で編まれている。絹織物は最初に政府役人の制服の布として中国のみで作られたが,アムール盆地の部族長や村長にも与えられ,間宮海峡を越えたサハリン島に輸入された。この貿易は,サンタン人と呼ばれるニヴフ,ナナイ,ウルチといったアムール盆地とサハリン島の土着の人々によって行われた。その後,サハリン島に住むアイヌ人により,絹織物は北海道の方に南方に広がっていった。その後,南西北海道に住むアイヌ人と松前人の間の貿易により,絹織物は最終的に本州に達した。中国から日本への,アムール盆地とサハリン島を経由するこのルートは,「東北アジアのシルクロード」と呼ばれており,その貿易は,サンタン貿易と呼ばれた。サンタン貿易は18世紀後半から19世紀にかけてピークに達したが,歴史的記録からは,その貿易は,元朝(1271~368)のアムール盆地とサハリン島の侵略後の13世紀という早い時期,または明王朝(1368~1644)のYongle皇帝が領土を広げたおそらく15世紀初期の後に始まったことが示唆されている。蝦夷錦は,サンタン貿易の主要製品であった。しかし蝦夷錦が18世紀以前に作られていたことを確認できるようなものは残っていない。そこで,蝦夷錦試料に放射性炭素法年代測定を適用し,年代を決定し,北東アジアのシルクロードの起源を明らかにした。北海道,秋田県(本州),サハリン島の蝦夷錦の34の試料を加速器質量分析により分析した。33の試料のキャリブレートした放射性炭素年代は,製造が17世紀中頃より後であることを示していたことから,北東アジアのシルクロードが清王朝(1644~1912)にピークがあることがわかった。ニヴフの婚礼帽の試料は,製造が14世紀前半と15世紀初期の間であることを示していた。このように蝦夷錦は,北東アジアのシルクロードがその時代の少なくとも初期に起源があることを示す証拠を与えるものであった。(翻訳著者抄録)