抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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イラストレーターとして広く知られる中原淳一は,1950年代にデザイナーとしての活動を本格化させた。1951年から滞在したパリにおいて,服のデザインを本格的に志向しはじめた中原は,帰国後『装苑』に自分のデザインを多数発表していく。とりわけ,若者の「ファッション」をデザインすることに注力した。若者こそ,大人のTPOに染まっていない社会層であったためでもある。中原は,「教育者」を自認せず,《実演者としてのデザイナー》としてふるまった。そして,未定義だったデザイナーの活動領域を広げた。また,ファッションデザインを通じて,シンプルな構造に情緒的表現を付け加える考え方を提示するだけでなく,場面や季節に応じて作り変えることを念頭においたメタモルフォーゼ的な服装思想をもたらした。しかし,社会変化の中で持続しつづける中原の服装思想は,時代の流行と齟齬をきたし始めた。中原は,59年に病に倒れ,デザイナーとしてのキャリアを断念せざるを得なくなった。しかし,こうした中原の活動の軌跡は,日本の服装思想史を考える上で有益な知見を私たちに与えるものだ。(著者抄録)