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J-GLOBAL ID:201902221296233708   整理番号:19A1174984

復興記念館の建設経緯について 横網町公園内建造物に求められた「日本趣味」について

THE CONSTRUCTION PROCESS OF GREAT KANTO EARTHQUAKE MEMORIAL MUSEUM The Nihon-Shumi (Japan-Taste) required to the building in Yokoamicho Park
著者 (3件):
資料名:
巻: 84  号: 757  ページ: 661-669(J-STAGE)  発行年: 2019年 
JST資料番号: Y0894A  ISSN: 1340-4210  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 原著論文  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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本論文では,横網町公園における日本趣味(和風)建築の特徴について述べた。これらの建物は,本研究以前に議論した関東大震災の震災記念堂の追加施設である。本論文は,1931年に建設された関東大震災復興記念館の建設過程を明らかにした。本研究では,震災記念事業協会のプロジェクト報告書と,関東大震災の震災記念堂の所蔵品からの資料を,復興記念館の建設を分析するための主な資料として用いた。また,1923年から1931年までの間に,東京と日本全国で発行された朝日,読売,東京日日,都,報知,の各新聞から収集した22件の記事を資料として使用した。結果として,復興記念館の設計は3回変更された。最初に,1929年11月9日から1930年3月24日の間に復興記念館設計が完成した。立面は,古典的様式によって影響された対称性を持っていた。日本の社寺建築様式は,屋根と深い庇を支持する木製部材,特に日本の社寺建築における曲線形状の装飾,庭園灯篭に良く表現されていた,。しかし,新聞は震災記念堂建設後の1930年9月3日に復興記念館の設計が変更されたことを報道した。この変更は,屋根形状や塔相輪など,日本の社寺建築様式を具現化した。最終的に,1930年9月26日の復興記念館の着工前に,設計を再び変更した。1930年9月に作図された青焼き図面は,第1次計画に基づく床面計画と,第2次計画に基づく立面計画を示している。設計者は震災記念事業協会の建設技術者である萩原孝一であったことが推測できる。また,床面と立面計画は長方形形状に変更し,ドア内の円飾や壁面の怪獣彫刻のような独特なスタイルに変えた。第3次設計においては,屋根やドア等の細部において,日本的社寺建築様式から近代的で簡素な要素に変更した。さらに,アール・デコ様式の影響を受けており,第3次設計の簡素で近代的様式が主設計者の萩原に関連している可能性があることが推定できた。彼は別の建築活動を通しても,このスタイルを主張した。そこで,復興記念館の設計は元々,日本趣味(和風)建築で計画されていたことが明らかになった。また,伝統的な日本様式に基づく震災記念堂の設計の延長として,主として日本の社寺建築に基づいていた。しかし,復興記念館はこの傾向に適応し,アール・デコ様式に影響された細部を持つ日本の社寺建築様式の新しい表現を提示した。また,復興記念館の設計は,日本趣味(和風)へとコンセプトを変更していた時代を反映していると見做すことができる。日本趣味(和風)建築で計画された復興記念館は,横網町公園の主要建物である震災記念堂との関係を推測することができる理由である。(翻訳著者抄録)
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教育施設,文化施設,宗教建築  ,  建築設計,建築家,建築史 

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