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J-GLOBAL ID:202002271487039813   整理番号:20A2684988

大日本建築会社の沿革と長郷泰輔について

STUDY ON THE HISTORY OF DAI-NIPPON KENCHIKU KAISYA AND CYOGO TAISUKE
著者 (1件):
資料名:
巻: 85  号: 775  ページ: 2013-2019(J-STAGE)  発行年: 2020年 
JST資料番号: Y0894A  ISSN: 1340-4210  資料種別: 逐次刊行物 (A)
記事区分: 原著論文  発行国: 日本 (JPN)  言語: 日本語 (JA)
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日本の明治時代の中期以来,建築会社が組織され,筆者は,日本土木会社,帝国興業会社,明治興業会社の設立と分裂の歴史を示した。これらの企業に加えて,大日本建築会社がこの時期に建設会社として設立された。同社は,百万円の資本金で,1907年8月8日に承認されたと,岩下が言っている。しかし,会社認可の日時には問題がある。この論文の目的は,大日本建築会社の設立から分裂までの歴史を明らかにし,設立に関与した長郷泰輔の背景と,以下の点を明確にすることである。長郷は1849年1月19日に生まれ,会津藩の家臣であった。彼は,函館に行き,ニコライに会った。1872年初期には,ニコライの使者として横浜と東京を訪問した。それから,LescasseとSmedleyと,ロシアの正統教会において建築を研究し,不動産売買と建築を担当した。彼は,芝区今入町に1886年1月に長郷組を設立した。その後,彼が設立した大日本建築会社の承認日は,以前は1888年8月8日に設定されていたが,正確には8月7日である。同社は,1897年頃に閉鎖され,その後,長郷組の名称の下で運営され,1906年頃に操業を停止した。彼は採鉱業始めたが,失敗し,下駄製造業にも関与した。彼は1905年以後仁寿生命の代表社員になったが,1910年8月に会社を解雇され,1911年7月15日に死亡した。(翻訳著者抄録)
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著者キーワード (6件):
分類 (2件):
分類
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建築設計,建築家,建築史  ,  生産関連一般 
引用文献 (1件):
  • 1) KAWAHIGASHI, Y., FUJIKI, T. : Tokyo-fukkatsu-daiseido (Nicholai-do) fuzoku tatemono chosa houkokusyo, 2008.3(in Japanese) 河東義之, 藤木竜也 : 東京復活大聖堂(ニコライ堂)附属建物調査報告書, 2008.3
タイトルに関連する用語 (3件):
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