抄録/ポイント:
抄録/ポイント
文献の概要を数百字程度の日本語でまとめたものです。
部分表示の続きは、JDreamⅢ(有料)でご覧頂けます。
J-GLOBALでは書誌(タイトル、著者名等)登載から半年以上経過後に表示されますが、医療系文献の場合はMyJ-GLOBALでのログインが必要です。
日本の明治時代の中期以来,建築会社が組織され,筆者は,日本土木会社,帝国興業会社,明治興業会社の設立と分裂の歴史を示した。これらの企業に加えて,大日本建築会社がこの時期に建設会社として設立された。同社は,百万円の資本金で,1907年8月8日に承認されたと,岩下が言っている。しかし,会社認可の日時には問題がある。この論文の目的は,大日本建築会社の設立から分裂までの歴史を明らかにし,設立に関与した長郷泰輔の背景と,以下の点を明確にすることである。長郷は1849年1月19日に生まれ,会津藩の家臣であった。彼は,函館に行き,ニコライに会った。1872年初期には,ニコライの使者として横浜と東京を訪問した。それから,LescasseとSmedleyと,ロシアの正統教会において建築を研究し,不動産売買と建築を担当した。彼は,芝区今入町に1886年1月に長郷組を設立した。その後,彼が設立した大日本建築会社の承認日は,以前は1888年8月8日に設定されていたが,正確には8月7日である。同社は,1897年頃に閉鎖され,その後,長郷組の名称の下で運営され,1906年頃に操業を停止した。彼は採鉱業始めたが,失敗し,下駄製造業にも関与した。彼は1905年以後仁寿生命の代表社員になったが,1910年8月に会社を解雇され,1911年7月15日に死亡した。(翻訳著者抄録)