抄録/ポイント:
抄録/ポイント
文献の概要を数百字程度の日本語でまとめたものです。
部分表示の続きは、JDreamⅢ(有料)でご覧頂けます。
J-GLOBALでは書誌(タイトル、著者名等)登載から半年以上経過後に表示されますが、医療系文献の場合はMyJ-GLOBALでのログインが必要です。
分区界は,1923年の関東大震災の後の,土地区画整理事業の最小ユニットの境界線を意味するものである。本研究の目的は,1.分区界をどう設計したか,そして,2.分区界内部の再整理設計をどう設定したか,を示すことである。さらに,これらの解析を通して,土地区画整理事業における分区界の役割を明らかにし,分区界の利用による都市空間の歴史的継承について調べた。第1に,次の4つの点が,分区界の設計に関して指摘された。1.分区界は面積によっては決定されなかった。2.分区界は町界(町境界)によって決定された。3.分区界は,江戸時代の土地利用の境界に関連した(武家地:侍のための土地,町人地:商人と職人のための土地,寺社地:寺と神社のための土地)。4.分区界は,明治時代と大正時代の都市改造計画の街路に関連していた。言い換えれば,分区界が土地区画整理と呼ばれる都市再開発の道具として直接存在したとしても,震災が起きる前の都市空間構造を継承する側面があった。さらに,再開発前の街路が単に広がっただけの道路拡張型地区において,再開発前の町境界と一致する多くの分区界があった。たとえ新しい街区計画が大胆に施行された開発型地区であっても,多くの分区界は土地区画整理前の町境界も使用した。一方,いくつかの分区界は再開発後の町境界と一致し,土地区画整理後の新しい町の地域コミュニティは分区界設定と同時に考慮された。第2に,事例研究としての北神田(第8地区の12分区)の解析を通して,都市街区が本区域で大きく変化したが,ほとんどすべての住宅が土地区画整理による分区界の内部に移動されたことを明らかにした。大部分の建物は元の地点の近くに位置されたが,いくつかの建物は,例えば,以前の雉子町から連雀町までと,遠くに移動された。上述のように,関東大震災後の土地区画整理事業は,分区界と呼ばれる設定された境界内の複雑な換地設計(建築物再配置)によって実行された。土地区画整理事業は,都市構造の再構築の側面を持つが,分区界に限ると,それらはまた,近代以前の都市構造を現在に継承する機会を得たことになる。(翻訳著者抄録)