抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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福山城築城と城下町の開発に際して,城主水野勝成は明確な景観計画に基づき建設に取り組んだ.しかし,技術的な問題への対応と市街地の発展により,当初の景観計画に蹉跌が生じた.明治期に至り福山市街地の近代化が進められると,福山城の水系空間は埋め立てられ,勝成の景観計画も喪失した.大正・昭和期に福山出身の建築家武田五一は,公会堂・議事堂・市庁舎の設計に際し,新たな景観計画の創出に取り組んだが,これも福山空襲と天守の喪失という蹉跌に直面する.戦後復興計画による駅前通り整備は,福山駅とその背景の福山城という新たな顔を創り出すが,新幹線高架の建設によりその景観も大きく毀損した.現在,福山城に対する景観施策として周辺建物の高さ制限が導入されたが,その効果は疑わしい.福山城を市街地景観の中軸に据えるためには,より効果的かつ総合的な景観施策が求められる.(著者抄録)