抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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天保5年(1834年)に富士山周辺で発生した大規模な雪代は,土石流となって放射谷を流下し,下流域に甚大な被害をもたらしたと記録されている。著者は,多くの史料に基づいて,この大規模雪代の流下状況について考察した。その結果,現在「天保谷」と呼ばれる箇所に大規模な崩壊が発生したこと,その面積はおよそ28haであること,土石流は天保谷の崩壊地から弓沢川を流下し,途中で溶岩流を乗越えて半分以上が風祭川に分流したと想定されることなどが分かった。危機管理の観点から,単なる雪代災害のためだけでなく,富士山周辺の地震計ネットワークを利用してリアルタイムに雪代などの大規模土砂移動を把握する必要性について提唱した。