抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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江戸末期から明治初期にかけて行われた盛岡藩三本木原(現青森県十和田市)における新田開発のための用水開発を紹介する。これは盛岡藩士・新渡戸傳(つとう)が,奥入瀬川を水源に新田開発を行ったものであり,この開発は1855年に藩に「三本木原開拓上水」の願書を提出したことに始まる。この用水工事の特色は,水源となる奥入瀬川が三本木原の低いところを流れていたため,取水口を川の上流部に設置するため穴堰(隧道)を掘削した。また取水量を増やすために中里川と熊野川に中溜め(突堤)を設けた。幹線水路の開削は4年後に完成した。この用水開発が順調に進展した要因は,工事統括指導者の存在と工事経験の豊富な和賀地方出身の技術者集団を抱えていたことによる。