抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本研究では,1980年代から2000年代にかけての中国のハイテク産業の発展における産学官の連携について調査した。ここでは,先行研究とは異なり,発展につながったプロセスをより綿密に評価するために,2つの連携成功事例に焦点をあてた。これらの事例は,背景や詳細が全く異なる。第1の事例は,ハイテク産業の発達に好都合な環境のもとで設立されたFounder Group(北大方正集団)である。Founderは,政府の政策に支えられ,中国のシリコンバレーと呼ばれる中関村サイエンス・パークに位置する。中国政府はハイテク産業の推進を国家戦略として採用したため,北京市は大きな支援を受け,中国の大学,産業および政府組織の連携の発展を促進した。第2の事例は,Neusoft(東軟集団)である。Neusoftは,ハイテク産業の発展が困難と考えられる東北地域(遼寧省瀋陽市)に位置するにもかかわらず大きな成長を遂げた。本稿では,中国における産学官連携の背景とその発展について述べ,次に,FounderとNeusoftの事例について解析した。そして,異なった地域における連携発展のメカニズムのいくつかの共通点と相違点を確認した。2つの事例共に,産学官連携の発展は産業主導による成長達成のメカニズムに基づいていた。Founderの発展における政府の役割は無視できないが,発展が継続するにつれて連携はより産業に的を絞るように変わってきた。この現象はNeusoftの場合,より明確である。その発展は中国中央政府からの支援なしで達成されている。相違点は,Founderが中関村のクラスター環境の恩恵を受けたが国際的な協調関係は限られていることと,全く対照的に,Neusoftはアルパイン社や他の日本企業との緊密な協調関係を築いていることである。