抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本論文は,近代の秋田(久保田)城址における公園化の背景と経緯について報告した。先ず,近世城郭は明治維新によりその存立条件を喪失したこと,本稿では1890年に払い下げられた城址の公園化7事例の中で最も早く公園化が進んだ秋田(久保田)城址を対象としたこと等を報告した。次に,城址の払い下げまでの城址を取り巻く動き,秋田市への管理の委嘱,城址の公園化の経緯について報告した。最後に,まとめとして,1873年に「存城」として陸軍省の所管となった秋田城址は適切な管理がされず,一部は畑地や養魚場として賃貸されていたこと,1890年に城址は陸軍省にとって不要な土地として,旧藩主佐竹家に払い下げられたこと,日清戦争の終結を受け,秋田では消失していた招魂社の再建が焦眉の問題だったこと,県会は「県公園」の開設を建議し,1896年度から三カ年継続の公園費を予算化したこと,秋田県は招魂社の移転を契機として旧本丸の買収を伴う公園化に成功したこと,1896年6月に臨時招魂祭が城址で挙行されたこと等を報告した。