抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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2011年の太平洋海岸沖の東北地震は,地震の震源から300~400km南の関東地方で激しい液状化現象を引き起こした。中央関東地域の利根川下流域に沿った低地に位置する依田浦と向野地区において,全コア掘削とトレンチ調査を行った。依田浦地区は,1969年から1974年までの砂揚水によって以前の湖が埋められた埋立地の上にある。依田浦における堆積物は,以前の依田浦湖堆積物(天然堆積物)のシルトと粘土から成り,砂質層は,人工埋め立て堆積物から成っている。自然堆積物中に液状化の証拠は見られなかったが,人工埋め立て堆積物は激しい液状化を受けている。3つの明確な砂脈(yS1砂脈-yS3砂脈)は,未酸化灰色砂から成る依田浦の人工地層,yS1砂脈を切断して地表に到達し,淡褐色の酸化砂から成るyS2砂脈を切断している。したがって,2つの液状化イベントが同じ地点で起きている:すなわち,yS2砂脈を生成した古いイベントは,おそらく1987年の千葉県東方沖地震(Mj=6.7)によって誘発され,yS1砂脈を生成した新しいものは2011年の地震によって誘発されたと考えられる。3番目の砂脈(yS3砂脈)は,人工地層における貝殻断片を含む細粒から中粒の砂層に由来し,地表からのアスファルトの断片を含んでいる。この砂脈は,2011年のイベント中の砂の噴出目撃と一致している。これらの報告は,地面が数秒間隔で脈動し,その地盤脈動ごとに水と砂が同時に地盤から噴出したとしている。依田浦において,成層化された砂質層中に,特に砂脈の近くに塊状無層状砂層が存在する事は,液状化が堆積物の元の構造を破壊したことを示している。向野サイトは,利根川の放棄された水路が,サンドポンピングと堆積物浚渫によって,1956年以後に人工的に埋められた埋め立て地の上にある。向野サイトの表層堆積物は,完新世氾濫原堆積物,1626~1956年の間に堆積された放棄水路堆積物,および人工地層から成っている。2つの明確な変形構造(mS1とmS2)がトレンチ壁で観察され,mS1は,放棄水路堆積物の上部部分に由来し,地表に到達した砂脈である。mS1砂脈は,人工地層の下部の細粒~中粒砂堆積物に由来する液状化物質から構成されており,砂質浚渫堆積物の上部表面に形成された”肩状”ポイントである。構造mS2は,砂質浚渫堆積物とその下にある埋設土壌を下方へ移動させた,人工地層の下部部分での転圧構造となっている。シル状の水平砂脈が,砂質堆積物から埋没土壌中に広がっている。人工地層の泥質上部において,砂脈mS1と砂質浚渫堆積物の”肩”に平行な多くの亀裂があった。これらの亀裂の存在は,地下の小規模地質構造が,地盤動及び地震によって引き起こされる液状化サイトの位置に影響することを示している。(翻訳著者抄録)