抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本論文は,離水生物遺骸群集の高度と年代の解析と地形データに基づいて,石見-畳ケ浦が1872年浜田地震の際に隆起したことを説明した。調査地域の北部に位置する2つの海洞において,筆者らは,主に石灰質管虫であるヤッコカンザシから成る離水生物遺骸群集を観察し,
14C年代測定用に採取したサンプルを収集し,そして,東京湾平均海面(T.P.)に対して参照したそれらの高度を測定した。最高で1.29~1.78m(T.P.)および最低で0.90~1.28m(T.P.)に分布する2つのレベルの群集が東洞で認識できる。下部側群集の較正された
14C年代データ,現在の群集の垂直生活範囲に対するそれらの高度,および隣接する潮位計データを分析して,石見-畳ケ浦の北部が1872年浜田地震の際に0.8~1.1m隆起したと推論した。調査地域の全体に0.8mの地震時隆起を仮定すると,中央および南部の波食棚のほとんどは,無人航空機調査から作成したデジタル地表モデルによって表された高度分布に基づくと地震前には干潮位下に沈んでいたはずである。この結果は,波食棚のほとんどの部分が,1817年に描かれた史料画像「床乃浦絵図」では既に離水していたという事実との不一致を示す。描像の景観を説明するためには,中央と南部における地震時隆起の量は0.3~0.4m以下であらねばならない。これらのデータは,隆起量における地域差が北部と中央から南部までの間に起きていたことを示唆する。最近の地表破壊は2つの地域の間には同定できないので,そのような地殻変形は,南あるいは南西への傾斜運動によっておそらく引き起こされたのであろう。また筆者らは,東洞における上部群集から,1872年浜田地震の前に別の離水事象を提案した。較正された
14C年代データとそれらの高度は,14世紀前後またはその後における少なくとも0.4mの相対的海水準低下を示唆する。この結果は,地震時隆起事象が約500年の間隔で起こってきたことを示唆するが,ただし,この現象の原因には,短い間隔,非地震性隆起,および海水準低下変動を伴った間欠的な小隆起などの他のいくつかの候補がある。(翻訳著者抄録)