抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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大河津分水路を振り返る。大河津分水路は,新潟県分水町から新潟市寺泊町方面の日本海側に信濃川を短絡させるために設けられた分水路である。信濃川の氾濫に対する対策のためである。大河津分水路に関わる歴史を整理した。江戸享保年間(1716~1735年)大河津分水路工事を幕府に請願,明治3年(1870年)分水路工事に着手,明治42年(1909年)大河津分水路工事再開,大正11年(1922年)大河津分水路に初めて通水,昭和2年(1927年)自在堰が陥没大災害発生,昭和6年(1931年)大補修工事完了し現在の姿に,平成14年(2002年)洗堰が国の有形文化財に登録される,等。現存しているコンクリート配合表によると,単位セメント量230~252,スランプ約5cm,単位容積質量2.375~2.402であった。材齢約80年のコンクリートの調査の結果,コンクリート中の丸鋼の腐食は全く無く,中性化深さの測定結果からもコンクリートが極めて健全であることが分かった。