抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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日本における測地衛星構想は,宇宙開発事業団(NASDA;National Space Development Agency)が発足して間もない1970年代の前半に,国土地理院と海上保安庁から1)測地基準点の規正,2)地域測地網の完成を目的として,太陽光を反射する大型気球の表面にレーザ反射体を装着した“レーザ反射気球型衛星”が提案された。複数の観測地点から太陽光を反射する衛星を写真撮影して背景にある恒星との位置関係から角度を計測し,レーザ光の往復時間から距離を計測する立体的な三角測量に基づき地表を測地する。この提案を受けNASDAが主体となって予備設計を着手したが,Al(Aluminum)箔とPET(PolyEthylene Terephthalate)の膜材で構成する気球型衛星の展開を保証する試験に,多くの供試体を試作しなければならず開発経費の増大が懸念され,本格的な開発フェーズに移行できない状態が続いた。写真撮影のため4等星以上の明るさを目指したことから10mφ以上の気球型衛星が必要であった。しかし,鏡面反射率が非常に高い場合,ベアリングの一点が光って見えるように,10mφ以上の衛星でも観測瞬間に寄与する面は数cmφである。この事実から,連続でなく断続的に輝くミラーボール型衛星で,太陽光反射機能を満足する方法を考案した。具体的には,20cm角程度のアルミ合金板を曲率8.5mR(17mφの衛星相当)に研磨し,更に表面を99.9%の純アルミで蒸着し反射率を高めた。各鏡面は単純なミラーボール型ではなく,個々の鏡の角度を工夫して配置すると共に,衛星を回転させることで太陽光反射機能を達成した。1980年頃にこの固球型衛星が安価で機能性能も満足することが評価され,H-Iロケットの試験機1号機に搭載することが確定した。...(著者抄録)