抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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本稿は,近代の明石城址における公園管理主体の変遷とその背景について報告した。先ず,近代の公園に関しては,公園に関する史的研究により近代社会における公園の意義などが明らかにされる一方,日比谷公園などを対象とした個別事例の蓄積も進んでいること,本稿では,明石城址において主体ごとにどのような公園化の背景や理由があったのか,またそれぞれがどのような管理をしていたのかを明らかにすること等を報告した。次に,「廃城」から公園化までの明石城址,地元有志による公園化と管理,明石郡による公園管理について報告した。更に,御料地としての宮内省による管理,兵庫県による公園の開設と管理について報告した。最後に,まとめとして,「廃城」になった明石城址は,瀬戸内海を望む風光明媚な立地で,外国人から公園開設の意向が示されるような公園適地だったこと,このような明石城址を公園として管理した主体は地元の有志,明石郡,兵庫県だったこと,地元有志や明石郡は,それぞれの目的から公園化を企てたこと,その後1898年に明石城址は御用邸建設予定地として御料地になり宮内省が管理したこと,1916年4月に兵庫県知事に任命された清野長太郎は宮内省と直接交渉し,御料地の一部を借用して県立公園化したこと,清野は,明石城址の設計を長岡安平に依頼したこと,本格的な公園整備は開園式後であり,整備や管理の実態解明は今後の課題であること等を報告した。