抄録/ポイント:
抄録/ポイント
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日本の主要都市では,第二次大戦中の米軍の空襲,またその後の高度経済成長期の都市開発により,多くの歴史的景観が消失した。かかる状況下,1975年に文化財保護法が改正され,伝統的建造物群保存地区制度が発足し,旧城下町をはじめとする歴史的町並みの保存が図られるようになった。しかし,その後のバブル期や自然災害などの要因,行きすぎた商業主義による展開への批判などの問題もある。そこで,本研究では,全国的な城郭整備の動向を整理・検討した上で,城跡の復元と景観整備を進めている兵庫県赤穂市を対象とし,旧城下町としての歴史的景観の復元・創出の意義について,地域の記憶という観点から明らかにすることを目的とした。赤穂市の景観整備事業において,赤穂城跡の発掘から,1955年の大手門の復元に始まり,2010年の西仕切門の復元に至るまで,復元整備事業の歴史的連続性を見出すことができる。しかし,「お城通り」における景観整備事業は,あくまでも城下町風というイメージの復元で,歴史性は希薄であり,「忠臣蔵のふるさと」という地域の記憶を再確認する事業ととらえることができる。本研究では,主に行政が進める景観整備事業に注目したが,住民の立場からの景観まちづくりを今後の課題にしたいとの抱負を述べた。